母が亡くなって最初の夏、私は実家のリビングにある小さな仏壇の前で立ち尽くしていました。母は生前、花が大好きで、庭にはいつも四季折々の花が咲き誇っていました。そんな母のために、私は葬儀の後も、欠かさず生花を供え続けてきました。しかし、その年の夏は異常なほどの猛暑で、どんなに気をつけていても、朝供えた花が夕方にはぐったりとし、翌朝には水が濁って腐敗臭を放つという有様でした。仕事で忙しい私にとって、毎朝の花の買い出しと水替え、そして数日おきに枯れた花を片付ける作業は、次第に精神的な重荷になっていきました。母を思ってやっているはずのことが、いつの間にか「こなさなければならないタスク」に変わってしまっている。そんな自分に罪悪感を抱き、私は思い悩みました。そんな時、友人の家で美しく飾られたプリザーブドフラワーを目にしました。それは亡くなった愛犬への供養として置かれていたものでしたが、その瑞々しさと静かな佇まいに、私は心を奪われました。「これだ」と直感した私は、母のイメージにぴったりの、淡いピンクのカーネーションと白のデンファレが入ったプリザーブドフラワーのアレンジメントを注文しました。届いた花を仏壇に供えた瞬間、私の心から大きな重荷がすっと消えていくのを感じました。そこには、枯れることのない、常に完璧な美しさで微笑んでくれる母のような花がありました。水替えの心配をしなくて済むようになった分、私は仏壇の前で、ゆっくりと母との対話を楽しむことができるようになりました。「今日はこんなことがあったよ」「お母さん、あの花綺麗だね」。花の世話という「作業」から解放されたことで、供養の「本質」である心を通わせる時間が戻ってきたのです。親戚の中には「仏様に造花なんて」と言う人もいるかもしれませんが、私は今のこの選択に自信を持っています。母もきっと、私が毎日慌ただしく花を替える姿よりも、落ち着いた気持ちで手を合わせる姿を喜んでくれているはずです。プリザーブドフラワーは、私に「ゆとり」と「平穏」を届けてくれました。それは、亡くなった母が、残された私にくれた最後のプレゼントのような気がしてなりません。花は枯れませんが、私の母への思いもまた、この花のようにずっと変わらずに咲き続けていくのだと思います。
母の仏壇にプリザーブドフラワーを選んだ私の理由