今日、母の一周忌を迎えた。リビングの小さな仏壇には、一年前の葬儀の後に私が贈ったプリザーブドフラワーが、今も変わらぬ色合いで静かに咲いている。母が好きだったトルコキキョウをメインにしたそのアレンジメントは、この12ヶ月間、一度も枯れることなく、毎朝手を合わせる私を励まし続けてくれた。正直に言えば、母が亡くなった直後の私は、生花を買いに行く気力さえ湧かなかった。花屋で色鮮やかな花を見るたびに、もう二度とこの花を母と一緒に見ることができないという現実を突きつけられ、足が止まってしまったからだ。そんな私にとって、一度私の元へ来てくれたらずっとそこに居てくれるプリザーブドフラワーは、唯一、落ち着いて向き合える存在だった。この一年、季節は巡り、外の景色は激しく移り変わったけれど、仏壇の横にあるあの花だけは、あの日母を送り出した時のままの清らかな白と、母の優しさを映したような淡い紫を保っている。その「変わらなさ」に、私はどれほど救われただろうか。人は形あるものはいつか壊れ、消えていくと言う。確かにその通りだと思う。でも、心の奥底にある「忘れたくない」という願いに、この花は寄り添ってくれた。今日の一周忌のために、私は新しい生花を一輪、その横に添えた。生花の瑞々しさと、プリザーブドフラワーの永遠のような美しさが並んでいるのを見て、私は「これが今の私の供養の形だ」と思った。悲しみは決してゼロにはならないけれど、その悲しみを抱えながら生きていくための「止まり木」が、私には必要だったのだ。プリザーブドフラワーは、ただの便利な加工品ではない。それは、時を止めてでも守りたかった大切な記憶の結晶なのだ。母が愛した花が、一年経っても私の横で咲いている。その事実に勇気をもらい、私はまた新しい一年を歩き出そうと思う。お母さん、あのお花、今もこんなに綺麗だよ。そう語りかける私の声は、一年前よりも少しだけ、前を向いている気がする。プリザーブドフラワーを選んだあの日の私に、そしてこの花を作り上げてくれた誰かに、心からありがとうと伝えたい。
母の命日に贈る、変わらぬ輝きへの感謝