葬儀という、非日常的で、怒涛のような数日間が過ぎ去った後、ご遺族の心には、しばしば、ぽっかりと穴が開いたような、深い静寂と、言いようのない喪失感が訪れます。現実感がなく、まるで夢の中にいるような感覚。しかし、その直後にやってくる「初七日」という最初の法要は、私たちに、故人の死という現実と、改めて向き合うことを、静かに、しかし明確に、促します。初七日法要は、残された人々が、深い悲しみ(グリーフ)から、少しずつ回復していくための、心理的なプロセス(グリーフワーク)において、極めて重要な「最初の区切り」としての役割を担っています。葬儀の喧騒の中では、多くの弔問客への対応に追われ、ゆっくりと悲しむ暇さえなかったご遺族にとって、初七日は、初めて、近しい家族だけで、純粋に故人を偲び、その死について語り合う、公式な機会となります。繰り上げ初七日であれば、火葬後の控室で、あるいは、葬儀後の精進落としの席で。「お父さん、本当に逝ってしまったんだね…」。そんな、当たり前だけれど、これまで心の奥底で認めたくなかった言葉を、家族の前で、初めて口に出すことができる。その言葉を、家族が、黙って受け止めてくれる。この、悲しみを「言語化」し、そして「共有」するという行為が、混沌とした心の中を整理し、現実を受け入れていくための、何よりも大切な第一歩となるのです。また、法要という、定められた「儀式」に身を置くことも、心の回復を助けます。僧侶の厳かな読経に耳を傾け、順番に焼香を行い、手を合わせる。その決められた一連の所作に集中することで、私たちの心は、どうしようもない悲しみや不安から、一時的に解放され、不思議なほどの静けさと、秩序を取り戻します。初七日は、故人の魂の旅立ちを祈るための儀式であると同時に、残された私たちが、悲しみの迷路の中で、道に迷わないように、と、先人たちが用意してくれた、最初の、そして最も優しい道しるべなのです。この小さな区切りを、一つ、また一つと、丁寧に乗り越えていくことで、私たちは、いつか、故人との思い出を、涙だけでなく、穏やかな微笑みと共に、語れる日が来ることを、信じることができるのです。