初七日、二七日、三七日…そして、四十九日。仏教の追善供養が、なぜ、これほどまでに「七」という数字を基準として、リズミカルに繰り返されるのでしょうか。この「七」という数字には、古代インドの思想や、仏教が誕生した背景に深く関わる、神秘的で、そして宇宙的な意味が込められています。その起源を辿ると、古代インドの宇宙観に行き着きます。古代インドでは、私たちの世界は、地上の人間界から、天上の世界まで、いくつかの階層(天)に分かれている、と考えられていました。そして、人が亡くなると、その魂は、七日ごとに、一つの階層を上へと旅していき、七番目の階層に到達する四十九日目に、次の生が定まる、と信じられていました。この思想が、仏教に取り入れられ、七日ごとの審判という、十王信仰と結びついて、現在の忌日法要の形が作られていった、と言われています。また、古代インドの医学や天文学においても、「七」は、物事の周期や、変化の節目を示す、非常に重要な数字とされていました。例えば、月が、新月から上弦、満月、下弦、そしてまた新月へと、その姿を約七日周期で変えていくこと。あるいは、人間の細胞が、約七日間で生まれ変わると考えられていたこと(これは現代医学とは異なりますが)。こうした、自然界や生命の根源的なリズムの中に、「七」というサイクルを見出し、それを、人の死と再生のサイクルにも当てはめた、という説もあります。さらに、仏教そのものにおいても、「七」は、特別な数字として扱われます。お釈迦様が、生まれてすぐに七歩、歩いたという伝説(七歩蛇行)や、悟りを開く前の、七日間の瞑想など、仏教の物語の中には、「七」という数字が、象徴的に登場する場面が数多くあります。このように、初七日をはじめとする七日ごとの法要は、単なる慣習的な区切りではありません。それは、月の満ち欠けや、生命の営みといった、宇宙的な大きなリズムの中に、故人の魂の旅路を位置づけ、その安らかな再生を、壮大なスケールで祈るための、深く、そして神秘的な儀式なのです。そのことを知ると、私たちの法要での一炷の線香が、時空を超えて、故人の魂へと届くような、不思議な感覚に包まれるかもしれません。